日本文化再考の動き (1)

今は日本全体として日本文化を見直している時期だ。少なくとも僕自身はそうだし,僕の皮膚感覚は世の中の潮流も同じだと教えてくれている。肌にびしびし伝わってくるものがあるのだ。

この潮流はもっと大きな「流れ」の中にあって,それは多分「日本は変わらなければならない」という漠然とした意識の一部なのだろうと思う。原因はよく分からないけれど,順調だった経済が停滞したから経済以外の部分にも目を向けてみよう(といっても経済が順調だった時代を僕はあまり知らない)とか,9.11テロや中国の台頭など国際情勢の変化が眠れる日本を揺さぶっている(僕はそのくちだ)とか,そういうものなのだろう。ペリーの黒船は来ていないけれども,経済以外の,外交・歴史・教育・文化といった,ものさしでは計れない精神的なところを変えようとしている。あるいは,同じことだと思うけれども,行き詰って自分を見失いかけている自分自身に自信を持とうとしているのかもしれない。ここ数年,そういう日本人の「もがき」が活発化しているように感じるのだ。


行き詰っているときに,過去の経験を振り返って何か使えそうなものはないかと考えるのは自然のことだ。喜ばしいことに,日本には過去の人々によって積み上げられた素晴らしい文化と歴史がある。例えば江戸文化・江戸システム再考が注目を浴びているのもそういう文脈に位置付けられるだろう*1。最近たまたま読んだ本を紹介しておこう:

これは太陽光由来のエネルギーしか使っていなかった江戸時代と,日本人1人当たり1日1万,5万,10万キロカロリー化石燃料(石油など)を消費している戦後から現代を比較することで,江戸時代の日本人がどのような生活をしていたかを描写した本だ。戦中・戦後の経験談を交えた生き生きとした筆遣いと,資料や数字に基づいた論理的な分析が,江戸文明と現代文明の違い,そして物質的な豊かさの差を見事に描き出している。

今僕たちは江戸時代の貴族でも手に入れられない豊かさ――例えば冷蔵庫や自動車――を手にしている。しかし,江戸時代でも衣食住に困ることはなかったし,冷蔵庫や自動車がないのが当たり前の時代であったから,十分豊かな暮らしをしていたはずだ。そして戦のない平和な時代において,歌舞伎や俳句,浮世絵などの芸能や芸術が育った。文化があり,精神的に豊かだった。

これらの事実を伝えずに,マルクス史観的に「江戸時代の庶民は搾取され,飢饉や一揆が相次いでいた」と見るのは誤りである,と著者はいう。江戸時代を(よい意味で)見直そうという動きだ。

この再評価を著者個人の動きとしてみるならば,それは単に著者が江戸文化が好きだから悪い評価は嫌だ,という程度の意味合いに過ぎない。しかし,それが日本社会全体に興味を持って認められつつあるというのは,別の大きな要因があるように思える。江戸文化それ自体を知ることは大部分の日本人にとってほとんど価値のないものだからだ。(一銭の得にもならない!)だから,今を生きる日本人にとって,過去の江戸文化を再評価することが重要であるということは,そのことが2006年の僕たちにとって価値がある(とみんなが思っている)ということを意味するのではなかろうか。だとして,そのような価値とは何だろうか。

今の僕なりの答えは「自信を持ちたい」ということだ。あるいは,拠り所を求めていると言い換えてもいいかもしれない。大きな建物を建てるためには基礎が重要なのだ。前の段落で「江戸文化を再評価すること,そのことが価値がある」(一部略)と述べたが,ここでさらった書いた「そのこと」には二つの意味合いがあると思う。一つは再評価される文化自体が今の社会にも役立つ(例えば江戸のリサイクル社会)ということで,もう一つは再評価するというそのプロセス自体が役立つ(つまり再評価する対象は何だっていい)ということだ。僕の答えは後者の方だ。

つまりだ。過去の日本人はすごいことをやってきた。だから今の自分たちもすごいことをやれる。そこに本当に因果関係があるかはともかく*2,過去の再評価によって自信が生まれる。だから,そのために,過去を再評価する,すなわち日本文化再考の動きが活発化しているのではないか。

10年から5年くらい前は(子供ながらに)よく次のような言葉を聞いた:「日本人はコピーしてそれを改良するのには長けている(が,オリジナルは無い。)」しかし最近は聞かない。日本アニメが世界的に認められていることが広く認知された頃からだろうか。今はコピーする側といえば中国で,日本はコピーされる側に移ったからか。日本人は自分自身を良く思えるようになったのだろうか。それならば再評価の動きを支持したいと思う。

(この「流れ」に関するシリーズはおそらく続きます。)

*1:江戸学に関しては単純にエコロジカルな面についての興味が大きいと思うが,政治的な歴史認識の面や昔の文化再考の面も大きなウェイトを占めていると思う。

*2:正の因果関係があった方がいいし,おそらく実際にはあると思うけれど,無くても本論には問題ない。