太古の地球は音楽に満ちていた

一昨日「のだめカンタービレ」を読んだ。指揮者を目指す天才青年「千秋」と美しいピアノソナタを奏でる変人女性「のだめ」が織り成す物語だ。音楽を通じて惹かれあう人たちを描いた物語だ。

僕は今日から「歌うネアンデルタール―音楽と言語から見るヒトの進化」という本を読み始めた(やっと1章を読み終わったところだ)。著者スティーブン・ミズンの主張は明快で,音楽を楽しむ我々の祖先の一部が言語を獲得し,やがて今の僕たちへと進化したという仮説だ。信じられるかい?

声楽家で声楽発声の教育者であったフレデリック・フースラーは,1965年に出版された著書「うたうこと 発声器官の肉体的特質―歌声のひみつを解くかぎ」の中で,音声生理学的,解剖学的な見地から「おそらく,人間は原始時代に,きわめて長い期間,歌声に恵まれていた――中略――その歌声をもっていたのは,人間が話すことができるようになったときよりもずっと以前のことである」と述べている。

最近音楽に関するヒトの脳科学研究の論文を調べている。音楽を処理する脳の構造を丹念に調べる作業だ。ここ3〜4年,どうやらそのような論文の数が急増している。ドイツのマックスプランク研究所の研究者たちは,音楽と言語の関連性について,例えば「言語の文法」や「音楽の文法」がいつどのような脳の領域で処理されているのかを研究している。日本の岡ノ谷助教授は,ジュウシマツという小鳥が文法を持った歌を歌うという研究成果から,人類も文法を持った歌から言語が派生してきたのではないか,という仮説を立てている。

最も重要な点は,男が女を愛するように,女が男を愛するように,人が音楽を愛するのは自然なこと,そういうことだろう。全てはそこから始まっていく――チョムスキーが投げかけた波紋のように――そう思うのは気のせいだろうか。

ジョンケージの「4分33秒」を聴いた。無音の音楽。その4分33秒の演奏の間,楽器は何一つ奏でられない。僕は,千秋が指揮し,のだめがピアノの前に座っている姿を想像した。無から聞こえてくる音は何だろう。ヒトはどこから来てどこに行こうとしているのだろう。