料理人の舌と腕前モデル

料理人に最も必要なものは舌である - jkondoのはてなブログ

包丁捌きとか調理のテクニックではなくて、うまいかまずいかを感じられる舌が最も重要なんですよね。

僕も今月の頭から料理を始めたんですよね。別に「料理人になりたい!」なんてわけじゃなくて,ただ単に「料理くらいできないとな〜」という程度なんですけど。ただ負けず嫌いな性格だから,どうせ作るなら美味いものを作りたい。じゃあどうすればいいかというと,まず自分の舌を肥えさせなきゃいけない,と考えました。普段からあんまし美味いものを食べているわけではないので,そのことがいの一番に頭に浮かんだわけです。「調理テクニック」よりも「舌のよしあし」が大事だというのは,あらためて言われるほどもなく分かるのです。

というのも,このような考え方や仕組みはどうやら非常に普遍的で,いたるところに見受けられるからです。

例としてボイストレーニング(ボイトレ)を挙げてみます。歌唱訓練です。以前,歌がうまくなりたくて色々と調べていたことがあるのですが,実はボイトレというのは筋トレの一種なのです。というのも,歌唱力のよしあしは主にのど周りの筋肉をうまく使えるかどうかなので,歌唱力を上げるにはのど周りの筋肉を鍛える筋トレをすればいいのです。*1

さて,ボイトレは一人でもできますが,ボイトレの先生に師事することもできます(スポーツにコーチやトレーナーがいるのと同じですね)。先生は生徒の歌声を聴いて,悪いところを改善するためのトレーニングを生徒に実施させます。例えば高音が安定しない場合は裏声の練習で輪状甲状筋を鍛えるとか。筋トレの場合はフォームを間違っていると筋肉が正しく鍛えられないので,先生は生徒のフォームを叩き込んでトレーニングを行います。

このことをちょっと図にしてみましょう。フィードバックループが形成されていることが分かります。

どうやら先生は生徒の耳となり頭となっているようです。状況を評価し(耳),問題点を見つけ出し(頭),解決策を立案する(頭)。先生とはそういう役割なんでしょう。

さて,最初の料理人の話に戻って,料理人の場合を図に描いてみましょう。

このモデルは(○○料理学校ではないので)先生は登場しませんが,それを除けば同じようなフィードバックループが形成されています。違いは評価や解決策を他人頼みにはできなくなってしまったということだけです。

さて,そろそろ本題に入りましょう。近藤さんの記事の主張は「料理人や写真家(専門家)が腕を上げる(成長する)にはテクニック(技術)よりも舌のよしあし(評価能力)が大事だ」ということです。「なぜそうなんだ?」っていう説明はそこにはありませんが,当該記事へトラックバックしている弾さんの記事を読んでみると次のような文章が目に入ります

404 Blog Not Found:料理人に最も必要なのは、脳である

自分の舌に頼るだけの料理人は、自分の舌を超える事はできない。

これです,これ。前述のフィードバックモデルで言えば,評価ができないために,練習することができないという感じになります。良いものを認めることができなければ,たとえ良いものを作れたとしても,それを継続して作ることができないのです。舌のよしあしが変わらない料理人の腕前の変化をグラフで描くと,きっと次のようになるのでしょう。

このように,舌のよしあし(評価能力)は成長限界を定めるのだろうと思います。そして,僕たちはえてして技術力は競い合うのですが(俺はすごいんだ!って分かりやすいよね),評価能力に関しては軽視しており,ときには自分の成長限界が評価能力のせいだ,ということにすら気付かずにいる場合も多いんじゃないでしょうか。

じゃあ評価能力はどうやって上げればいいのか?という疑問が湧いてきます。その答えの一つは,弾さんの言うように(近藤さんの記事でも触れられていますが),お客さん(他人)の舌をも使う,ということでしょう。フィードバックループを増やせば増やすほど,評価能力は(下がらずに)上がっていきそうです*2

ただ,技術力をあげて自分の評価能力を上回る良いものができてしまったら,それによって評価能力自体が向上するということも多そうです。例えばうちの先生は英語の発音を聴き取れるようになる(評価能力の向上)には,自分がまずうまく発音できるようにする(技術力の向上)方がいいんだと言っていますし(音声学の知識があればけっこう正確に発音できます),僕も賛同するのですが,それは技術力の向上が評価能力を押し上げていると言えそうです。新技術の発明や芸術の発展というのもそういうものなのかもしれません。

ところで,この視点はきっとすごく一般的な話で,もしかしたら人類の文明・社会といったものの成長や,人の心の成長なんかにも言えることなのかもしれません(と妄想してみる)。あなたの伸び悩みの原因もこれかもしれないですよ。新たな人や本との出会いが価値観や評価能力をぐんとあげてくれたりするものですが,ただ偶然を座して待つよりかは自分で探しに行く方がきっと良いんでしょうね。

あ,そうそう,Paul GrahamBeating the Averages邦訳)というエッセイの中で非常に興味深いことを言っていて,上に登れたものには下のものがよく評価できるけど,下から見上げても「変てこりん」なものしかなくて,それがいいのかどうか評価できない,というようなことを書いています。上に登りたいのに,目指すべき上が見えないというのは,なんともやりきれないというかわくわくするというか...

追記:まとめと補足

最後の方がぐだぐだなのでまとめと補足。まずまとめ。

  1. 技術力の向上には「現状の評価,問題点の判断+解決策の立案,練習」というフィードバックループが存在する。
  2. 舌のよしあしによって腕前の成長する限界がある(主張)。
  3. 腕前がまだまだ足りないのに舌の感性をいくらよくしても腕前自体は伸びない(注1)。
  4. 先生や客というフィードバックループを増やすことで評価能力を上げられる(+より良い成長が期待できる)。
  5. 一般的には「予想:技術力の成長速度>評価能力の成長速度」によりそのうち成長限界に達する(仮説)。

それから補足。

  1. 人の成長ともの・サービスの成長というのはやっぱりちょっと違うと思う。近藤さんの記事の最初(料理人・写真家)は人の成長に関する話で,最後(一つのWebサイトのデザイン)はどちらかというともの・サービスの成長に関する話。
  2. 注1:評価能力は独立項(上界を与えるだけ)じゃなくて,技術力の成長速度に正の影響を及ぼしているはず。僕が興味があるのはこちら。

*1:ただし,普通の筋トレは筋肉の肥大化が主目的であるのに対して,ボイトレの場合は筋肉と神経間の連携動作の向上が主目的になります。

*2:最大値を間違えずに選択できなくちゃいけないけど。評価尺度は決して良い悪いだけの1次元じゃなくて,多次元のベクトル空間なんだろうなぁ。