募金という名の保険システム

さくらちゃんを救う会」という活動に対して死ぬ死ぬ詐欺なんていうキャッチーなコピーをつけた批判があって面白い。

色々なエントリで面白い意見が書かれているんだけど,ハッとしたのは医療保険と募金の関係。両方ともリスク分散システムとして機能しているようなのだ。


404 Blog Not Found:善意の値段

とりあえず一つだけ結論できるのは、自分がいつ寄付を出す側から募る側にまわってもおかしくないという事実だろう。いくら10万人に1人、いや100万人に1人といっても、いざ自分にそれがふりかかれば1分の1なのだから。今はそれしかわからない。

金持ちと移植医療 - Nash Bridgesの始末書

だいたい、「乳幼児臓器移植を寄付でまかなうことの第一の矛盾」と仰りますが、この赤ちゃんは、より一般的で費用対効果の高い疾患を患っている他の赤ちゃんより「命の価値が低い」と国に認定されているわけですよ。だってそうでしょ?なんでもかんでも保険で賄うことはできない。だから、効率の悪い命は捨てる。これが保険医療でしょ?これが量的に命を助ける方法なんですよ。

さらに言えば、日本の心疾患乳幼児は、量的観点から切り捨てられた命だ。≪命は等価≫なのに捨てられてしまう命があるなんて……許されるべきことなのでしょうか?といった同情を利用して、相対的な量的指標を覆い隠し、誰しもが否定できない絶対的な質的指標へと落としこむ。この、ある種の詐術とも言えよう≪質的命乞い≫。これこそが募金活動であり、切り捨てられた者たちに残された最後の希望だ。

そうか!募金って一種の保険なのか!

保険とは何か?詳しくはありませんが簡単に説明してみます。保険とは一言で言えばリスクの分散です。確率は低いけど病気になる可能性は誰にでもある。例えば一生のうち100人に1人かかる病気があって治療費が100万円かかるとする。病気にかかった人が1人で100万円を払うのはきついが,1人が1万円出し合えば100人で100万円になる。本当は必要なかったかもしれないけれど,1万円を事前に払っておくことで,100万円の出費という必要になるかどうか分からないリスクを避けることができる。この仕組みが保険だ。お金の管理など事務的な作業で人間がいるので,実際には各々が1万1000円ほど出して,管理してくれる人(保険会社)に任せる。保険会社はリスクを軽減する手伝いをすることによって利益を得ていると考えられる。僕たちは「あるかどうか分からない大きなリスク」を回避して「小さなリスク」を選択している。つまり,一人にリスクを集中させずに,みなでそれぞれ小さなリスクを引き受けようということだ。*1

さくらちゃんの特発性拘束型心筋症は国民保険などの医療保険で補えない種類の病気のようです(おそらく国内で手術ができないから)。(本当かどうかは知らないけど=他に手段がなかったかは置いておいて)さくらちゃんのご両親は保険で補えないリスクを背負ったわけで,それを他の国民に募金という形で払って欲しいと。一人一人が小さなお金を払って,大きなリスクを解消する。なるほど,これは保険と同じシステムなわけですね。

以下は主観的な私見です。

僕には子供がいませんが,もし子供ができたら重大な病気になる可能性はけっこうある。保険やなにやらが適用できなかったら,同じように募金を求めることになるかもしれない。だから,僕としては募金しようと思います。そういう(募金を受けられる)社会の方が住みやすいし。

会計が不明瞭だとか,余ったお金がどこに行ってるのか分からない(=着服してるんじゃないか)というのは,システム的な問題ですね。保険会社なら会社だから監査とかあるだろうけど,任意団体じゃよくわからんと。これは募金一般に関して正しい指摘だと思います。株を買っているのに対象企業の会計情報が公開されてないようなもんですよね。募金を専業化している団体(?)に関する「うさんくささ」が一番の火元なんでしょう。まぁ,僕自身は(小額の募金なので)詐欺られてもいいと思ってる口なんですが(そう思ってないと募金なんてできないし)。

あと,自宅やらの可処分の資産に関しては,全てを失ってでも自分の子供なんだから助けろだとか,生活水準を落としたくから人の金に預かりたいだけなんじゃないのか,という批判がありますが。何を言ってるんでしょうか。犠牲を払わずに幸せになれたらそれが一番いいじゃないですか!自分も幸せに生きたいし,子供も助けてやりたいというのは当たり前の話で。なぜ犠牲を要求するのか分かりません。犠牲を払わずに助けるものをしっかり助けるというわけで,そういう意味でご両親や周りの方は非常にスマートで,見習いたいスマートさです。病気を持った子供を産み育てるというのは犠牲を払わねばならない罪ではないと思うので*2

しかしネットって素晴らしいね。社会通念上あんまし大声では言えないような批判もちゃんとできるんだから。最初は落書きのようなノイズの方が多いかもしれないけど,いったん注目が集まればまともな議論もできる。

とりあえず,今度銀行に寄ったときに小額ですが募金してきます。子供は宝だ。

*1:もちろん必要とせずに一生を終える人の方が圧倒的に多いから,1万円を出したくないっていう人もいる。それはそれでいい。

*2:これに関しては書き出したいことがあるのでそのうちまた別エントリで。